第一幕 明治時代「立ち絵紙芝居」の始まり

立ち絵「妖怪図」(西遊記)出典:群馬県立土屋記念文学館編 紙芝居がやって来た2002

江戸時代からの語り芸能のひとつとして、明治維新を経て、屋形船で興行されていたのが「写し絵」でした。

「写し絵」は「風呂」と呼ばれた幻燈機を使って、スクリーンに見立てた障子などに、種板という薄いガラス板に描かれた絵を映し出すことで、涼しさに彩りを添えた夏の風物詩でした。

1897年(明治30年)頃に、無声映画が上映されるようになったことから、写し絵は衰退していったとされています。失職した写し絵の絵師が、「西遊記」や「忠臣蔵」の絵を木版刷りして、駄菓子屋で売っていたところ、それを買った子どもたちが絵を切り抜いて、竹串に貼り付けて遊んでいたのを目にして、「立ち絵」を思いついたという伝承があります。

「立ち絵(たちえ)」は、紙に描いた人形を動かして「歌舞伎まがい」の芝居を演じたことから、やがて「立ち絵紙芝居」と呼ばれるようになったのです。

竹串に15センチほどの切り絵を貼り付けて、小さな舞台で動かすもので、「写し絵」や「のぞきからくり」などと同様に「見料」をとって見せるお祭りや縁日での小屋掛け芝居として始まったのです。芝居小屋の中に、幕を張って、太鼓や拍子木などの鳴り物も付けて、いろいろな演目が披露されました。

演目には「西遊記」「水滸伝」「忠臣蔵」「石川五右衛門」「黒田騒動」「かさね伝記」などがありましたが、立ち絵紙芝居は、上演する技術の難しさから、演者はほんの一握りだったと言われます。

立ち絵大正村:雑芸雑報

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