1935年に東京帝大を卒業して小学校の教師となった「松永健哉」が「子ども自らによる文化創造」を掲げて、校外教育としての「教育紙芝居」の活用を提唱し、紙芝居のもつ効用を次のように説明しました。
「普及のしやすさ」
演じるための高い技術を必要としない。経済的な負担が大きくない。いつでもどこでも演じることができる。
「伝えやすさ」
単純明快に表した絵を使って、観客の反応を見ながら、ことばを選ぶなど自由にアレンジできる。
「おもしろくてわかりやすい」
絵を通してハラハラ、ドキドキするような展開が繰り広げられるので、おもしろくて、わかりやすい。
松永健哉は、「子どもたち自らがグループで紙芝居を作って、演じてみて、互いに批評しあうこと」を紙芝居の教育的な意義と定義したのです。
「今井よね」は、キリスト教会の日曜学校の教材として「福音紙芝居」を作って見せるという取り組みを始めました。1933年に作られた「クリスマス物語」が、日本初の「印刷紙芝居」でした。
そして、今井よねの活動に影響を受けて、「幼稚園紙芝居」を発刊したのが、絵本の出版社を営んでいた「高橋五山」です。
「赤ずきんちゃん」「花咲かじいさん」「金のさかな」「いなばの白うさぎ」「ビーターラビット」「七ひきの子ヤギ」など今でも知られている37の紙芝居を作り、それらの教育紙芝居は「印刷紙芝居」とも呼ばれました。
高橋五山は、ディズニーの絵本を参考にして、絵の輪郭を太い線で描くようにして、遠くからもよく分かるようにしました。また、観客参加型の紙芝居を作りました。
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