1946年頃から戦争からの復員兵や失業者が参入して、街頭紙芝居は復活して、1948年から1949年にかけて最盛期を迎えます。
1953年に中国からの引揚者の宿舎で開催された「帰国歓迎紙芝居慰問」の紙芝居公演は、「売り子」を獲得することが目的でした。その時に配られたビラには、次のようなメッセージが書かれていました。
「この仕事によって、莫大な金もうけはできません。しかしながら、帰国者の皆様の中で、紙芝居の道に生きようという方があるならば、実地にご指導致し、生活の立つように惜しみなくご協力します」
街頭紙芝居は、子どもたちをひとりでも多く集めて、飴を売ることが目的だったので、刺激の強いものが演じられる傾向があったことから、子どもに悪影響を与えるものと批判されるようになったことを受けて、街頭紙芝居の免許制度が施行されました。
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