(1)狂言と紙芝居の共通点

日本の古典芸能は、現在も能、狂言、文楽、歌舞伎として、受け継がれています。

能と狂言は合わせて「能楽」と総称されていますが、それは明治以降のことで、江戸時代まで「猿楽」(さるがく)と呼ばれていました。

猿楽は「あごがはずれんばかりに笑ってしまうほどおもしろい」もので、後に能と狂言に分かれたのです。猿楽のおもしろさを受け継いだのは狂言で、「上級のおかしさ」つまり上等で上品な笑いを醸し出す喜劇です。

狂言は江戸時代までは完全な台本がなく、即興的なアドリブを大切にした柔軟性のある芸能だったのです。江戸時代に、狂言にも優れた台本が作られましたが、それは現在の話し言葉とあまり変わらない口語体だったのです。

狂言は「台詞(せりふ)」劇で、「素手の芸能」とも呼ばれます。

白いキャンバスに、狂言師の芸の力だけで、素手でドラマを描きだすからです。

(1)情感を込めた台詞と間合い
(2)メリハリのある朗々とした台詞回し
(3)起承転結のある劇としての巧みさ
(4)リズミカルな言葉の掛け合いから生まれるペーソス
(5)観客と共感するユーモアセンス
(6)伝統の台詞にアドリブを入れるサービス精神が旺盛
(7)数十分で終わる小品

狂言の上演と芸能としての分析

(1)狂言は能舞台だけではなく、学校、神社、料亭、海外でも演じられる
(2)狂言師の笑顔と観客の笑い声で人間愛と心の豊かさが共有される
(3)庶民の日常生活が描かれる
(4)人間の弱さとしたたかさを演じる人生喜劇
(5)リアリズムを求める演劇ではない
(6)狂言師の修行は「猿に始まって狐に終わる」うつぼ猿(子猿)~銀狐

小松左京のSF狂言「狐と宇宙人」
手話狂言(日本ろう者劇団)

紙芝居の話し手は、聞き手の反応を見ながら、アドリブを入れて、物語りを進行していきます。狂言師との類似点が多くあって、狂言を模したものでもあると考えられます。狂言はリアリズムを求めるものではなく、狂言師の修行が「猿に始まって狐に終わる」というのも、紙芝居では擬人化した動物たちがたくさん登場することと共通しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました