紙芝居は時代の混沌の中から生まれて、大衆によって育まれた大道芸です。
日本の代表的な伝統芸能(古典芸能)には「能」「狂言」「歌舞伎」「人形浄瑠璃」「相撲」などがありますが、それらは日本各地の神社や寺社で行われていた「神楽」や「獅子舞」「田楽」などの「民族芸能」をルーツにしていると考えられています。
このような日本の民族芸能は、古代の宗教的な場で、神の魂をなぐさめ、鎮めるための「遊び」である歌舞や雑芸として生まれました。例えば、稲の豊作を田の神に祈願する「田遊び」は、やがてその宗教的な意味合いが弱められながら引き継がれていき、「祀り」から「祭り」となりました。
祭りで演じられる歌舞や雑芸も、楽しむための「遊芸」に変わっていきましたが、人々が修行やけいこを重ねて芸能性を追求したものが「伝統芸能」となり、娯楽性を求めたものは「大衆芸能」となっていったのです。
能楽(能と狂言)は、幕府の保護のもと、武家の式楽として重用され洗練されて、その様式美を極めていきました。歌舞伎は、都市に暮らす庶民のための芸能として、変化を重ねていきました。
歌う(歌謡)、踊る(舞踊)、演じる(演劇)といった芸能は、時代の趨勢とともに姿を変えていき、歌舞伎や人形浄瑠璃、相撲などは、室町時代から江戸時代にかけて、京、大阪、江戸といった都市で洗練されて、現在に近い形に完成されていきました。
紙芝居は、「立ち絵」と呼ばれる紙の人形をあやつる「紙人形芝居」から始まり、時代に翻弄されて「平絵」という現在の「紙芝居」の形に変遷してきました。そして、「飴売り行商」の街頭紙芝居は廃れて、今は「教育紙芝居」として存続しています。
紙芝居は、伝統芸能を模倣した大道芸として始まったのですが、その着想のルーツを探ると古来、寺社でおこなわれていた「絵解き」という教育手法に辿りつきます。絵解きが直接的に紙芝居に結びつくわけではありませんが、「絵」を使って宗教や社会について教える芸能があったのです。
紙芝居には「観客参加型」という演じ方があります。観客とやりとりをしながら、時にはアドリブを入れて物語りを進めていくものですが、伝統芸能の「狂言」に似ています。
狂言は、「上品な笑いを醸し出す喜劇」ですが、江戸時代までは完全な台本がなく、即興的なアドリブを大切にした柔軟性のある芸能で、紙芝居との共通点がいくつもあります。
(1)情感を込めた台詞と間合い
(2)メリハリのある朗々とした台詞回し
(3)起承転結のある劇としての巧みさ
(4)リズミカルな言葉の掛け合いから生まれるペーソス
(5)観客と共感するユーモアセンス
(6)伝統の台詞にアドリブを入れるサービス精神が旺盛
(7)狂言師の笑顔と観客の笑い声で人間愛と心の豊かさが共有される
紙芝居は人形芝居として始まったのですが、人形浄瑠璃の語り手の「義太夫」との共通点があります。義太夫は・・・・
(1)声優でもあり、ナレーターでもあり、ボーカリストでもある
(2)オールキャストの声を演じ分ける
(3)声色ではなく、地声でどこまでも「らしく」を追求して語る
紙芝居には、伝統芸能からヒントを得ていたのではないかと思えるところが随所に見られるので、伝統芸能のいいとこ取り、模倣から生まれた大衆芸能と考えられます。
紙芝居は「飴売り行商」のおまけのような位置づけだったのですが、作品を作ってそれを紙芝居屋に貸し出す「貸し元」が商売を牛耳っていたり、「平絵」と呼ばれた紙芝居には、現在の紙芝居にある裏書きと言ったものは書かれておらず、ストーリーは口頭で先輩から後輩に伝えられる「口伝(くでん)」だったのです。
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