1941年(昭和16年)ハワイ真珠湾攻撃 太平洋戦争開戦
戦時中には、国民の戦意高揚を目的とした「国策紙芝居」が作られて、それを印刷した「印刷紙芝居」が全国に配られた 同時に国家総動員制度の下で、農家にも食料増産が求められたので、農繁期保育所が全国に多数設立され、保育園児向けの「保育紙芝居」もたくさん作られて提供された
1945年(昭和20年)ポツダム宣言受諾 太平洋戦争終戦
1946年(昭和21年)
東京で「街頭紙芝居」が復活
「日本紙芝居協会」設立
1948年(昭和23年)
「民主紙芝居人集団」設立 (高橋五山 加太こうじ)
文部省が保育要領で、紙芝居を保育教材とする
1953年(昭和28年)
街頭紙芝居屋 全国で5万人に
NHK「テレビ放送」開始
1955年(昭和30年)には 全国のテレビ受信機 10万台に
テレビ放送に押されて、紙芝居は衰退
1957年(昭和32年) 童心社 設立
1960年(昭和35年) 図書館での紙芝居の貸し出しスタート
1962年(昭和37年) 「高橋五山賞」がスタート
保育の現場を含めて、教育紙芝居として「手作り紙芝居」が作られるようになる
1967年(昭和42年)
文部省「第一次教材整備10ヶ年計画」で紙芝居が小学校の教材から外れる
1969年(昭和44年)
子どもの文化研究所が設立
1980年(昭和55年)
「第1回手づくり紙芝居コンクール」開催
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