第八幕 「戦時中の国策紙芝居と保育紙芝居」

1938年に16社を買収する形で「大日本画劇株式会社」が設立されました。買収資金の大半を出したのが「明治製菓」で、自社の菓子販売を委託することが目的だったのです。

「国民精神総動員運動」が発せられた1937年の翌年、1938年には「日本教育紙芝居協会」が設立されました。

国は、印刷された紙芝居「印刷紙芝居」を買い上げて、全国に配布したことから、発行部数は戦前の10倍にも達しました。教育紙芝が「教化紙芝居」に転化とされたのです。

同年1938年には、紙芝居を警視庁が検閲することになり、台本の裏書きが義務づけられました。

戦時中のプロパガンダとしての「国策紙芝居」には、「フクちゃんとチョキン」が戦時経済への協力としての貯金の勧めや資源の節約を勧めるものでした。

家族の絆をテーマにした「チョコレートと兵隊」も作られたのです。国策紙芝居は、全国に配置された「紙芝居の先生」によって演じられました。

1938年には「国家総動員体制」が発令されて、農家にも食料の増産が求められた影響で、農繁期に子どもを預ける保育所が、1930年の2,519ヶ所から1940年には2万2,758ヶ所へと増えたのです。

そして、保育士不足、教材不足を補うために「保育紙芝居」(教育紙芝居)が多く作られました。田舎の子どもたちが共感できるような紙芝居として「カカシノククンショウ」なども作られたのです。

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