室町時代から江戸時代にかけて、公家や武士の社会では、能、茶道、華道などが成熟していきましたが、民間でも雑役や遊芸をなりわいとしていた人たちの中から、能楽や歌舞伎、浄瑠璃といった芸能に優れた人々が生まれたのです。
「大道芸」は路上や街頭で芸を演じてお金をもらう芸能というイメージですが、「門付芸」(かどつけげい)や仮設の芝居小屋で行われる「見世物」も含めた「芸能の総称」です。
都市の大道芸には、歌舞伎や浄瑠璃をまねる「声色」(こわいろ)や「独狂言」(ひとりきょうげん)「首かけしばい」「飴屋踊り」(あめやおどり)「居合抜き」「曲独楽」(きょくごま)「角兵衛獅子」(かくべえじし)などなど数えきれないほどの街頭芸能が行われていましたが、それらは「乞胸」(ごうむね)と呼ばれ、親方によって取りまとめられていました。
江戸時代の「門付芸」は、家々の門口(玄関)で、「祝いのことばを述べながら」万歳(まんざい)や獅子舞(ししまい)、猿回し(さるまわし)などの芸を披露してお金をもらうもので、「祝言人」(ほがいにん)を呼ばれました。
「見世物」は、神社やお寺の境内や盛り場などに小屋をかけて、木戸銭(入場料)をとって芸能を見せるものでしたが、歌舞伎などよりもずっと安い金額で楽しめたので、庶民には、親しみやすい芸能だったのです。
日本の大道芸は、奈良時代に中国から渡来した「散楽(さんがく)がルーツと言われています。
散楽の「散」には、「雑多な」とか「正式なものではない」という意味があって、「散楽」には、手妻(手品)や軽業(かるわざ/アクロバット)、こっけい話、物まね、人形劇などいろいろな芸能が含まれていました。
平安時代には、神社の祭礼で神楽の余興として演じられていた「笑いを誘うこっけいな寸劇」が人気を博して、やがて、それが「猿楽(さるがく)」と呼ばれるようになり、盛んに演じられるようになりました。
猿楽からは、やがて「翁(おきな)」と呼ばれる仮面芸能や、歌と舞いが融合した「能」が生み出されていったのです。
現在の日本では、大道芸と言えば、サーカス芸と呼ばれるジャグリングやアクロバット、パントマイム、クラウンなどが主流になっています。路上でのブレイクダンスやヒップホップダンス、あるいはストリート・ミュージシャンなども大道芸になるのです。
日本の古典的な大道芸には、「猿回し」「南京玉すだれ」「紙切り」「曲独楽(コマ回し)」といったものがあり、「獅子舞(ししまい)」や「チンドン屋」なども含まれます。「あめ細工」は、平安時代からある芸なのです。
香具師(やし)は、大道芸人というよりは、道端に露店を構えて、啖呵(たんか)と呼ばれる口上で道行く人の気を引いて、薬などを売る「行商人」です。口上芸としてよく知られていたのが「ガマの油売り」です。
1989年3月19日の朝日新聞朝刊に「ガマの油売り」が紹介されていました。
そもそもは武士が始めたもの。お客さまは神様という商人とは違う。だから「いらっしゃいませ」「ありがとう」とは言わない。相手(客)をいかに落城させるかの手段としての口上は、知らず知らずに警戒心を解き、欲を植えるものなり。
大道芸は、「投げ銭を得るためのこじき芸」とさげすまされる傾向があって、明治政府は好ましくない風俗と断じて、多くの大道芸を禁止したので、一気に衰退してしまうことになりました。
1998年の広辞苑(第5版)では、大道芸は「路上で演ずる卑俗な芸」と説明されています。しかし、近年は、街を活性化させるイベントなどでの出し物として見直されるようになっていて、東京都が「ヘブンアーティスト」という公認制度を設けたり、日本テレビが「日テレアート大道芸」というライセンスを発行するようになっています。
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