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紙芝居の歴史

第十三幕 新しい紙芝居運動の始り

1980年になると、小学校の教員だった「まついのりこ」は自分の子どもに手作り絵本を作ったことに端を発して、その後、絵本作家の道に進みました。演じ手と観客の言葉のやりとりや動作を通じて、共感を作り出す「観客参加型」の紙芝居を、たくさん作ったこ...
紙芝居の歴史

第十二幕 テレビ放送と街頭紙芝居の衰退

1953年にNHKがテレビ放送を始めて、1955年には全国のテレビ普及台数が10万台に、そして5年後の1960年には500万台にまでなり、テレビ人気の高まりを受けて、街頭紙芝居は消えていったのです。 1955年に戦後の「教育紙芝居」の普及に...
紙芝居の歴史

第十一幕 保育園での教育紙芝居

街頭紙芝居への当局の締め付けが厳しくなっていく半面、1948年に文部省は「保育要領‐幼児教育の手引き」で、紙芝居を初めて「保育教材」として制定しました。 街頭紙芝居は、駄菓子を売るための人集めの道具だったので、質が高いものではなかったのです...
紙芝居の歴史

第十幕 「大阪府紙芝居条例の抜粋」

1950年に通達された「大阪府紙芝居条例」の抜粋 ●この条例は、紙芝居業者について、必要な取り締まりを行い、児童福祉上支障のないように、紙芝居が行われることを目的とする。 ●業者になろうとする者は、知事の行う講習及び身体検査を受け、免許試験...
紙芝居の歴史

第九幕 戦後の街頭紙芝居の復活

1946年頃から戦争からの復員兵や失業者が参入して、街頭紙芝居は復活して、1948年から1949年にかけて最盛期を迎えます。 1953年に中国からの引揚者の宿舎で開催された「帰国歓迎紙芝居慰問」の紙芝居公演は、「売り子」を獲得することが目的...
紙芝居の歴史

第八幕 「戦時中の国策紙芝居と保育紙芝居」

1938年に16社を買収する形で「大日本画劇株式会社」が設立されました。買収資金の大半を出したのが「明治製菓」で、自社の菓子販売を委託することが目的だったのです。 「国民精神総動員運動」が発せられた1937年の翌年、1938年には「日本教育...
紙芝居の歴史

第七幕 昭和時代「教育紙芝居の始り」

1935年に東京帝大を卒業して小学校の教師となった「松永健哉」が「子ども自らによる文化創造」を掲げて、校外教育としての「教育紙芝居」の活用を提唱し、紙芝居のもつ効用を次のように説明しました。 「普及のしやすさ」演じるための高い技術を必要とし...
紙芝居の歴史

第六幕 昭和時代「紙芝居は漫画の原点」

日本の多くのマンガ家やアニメ作家は、紙芝居から多くのインスピレーションを受けたと言われます。 「忍者武芸帳 影丸伝」「サスケ」「カムイ伝」などの忍者の漫画で知られている白戸三平も、紙芝居画家出身でした。 「ゲゲゲの鬼太郎」の水木一郎も紙芝居...
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第五幕 昭和時代「紙芝居の隆盛と黄金バット」

それまでの「立ち絵」は時代劇が主流でしたが、「平絵」は現代を舞台とした作品で、「男の子に人気の活劇」「女の子に人気の悲劇」そして「幼児向け漫画」の三つのジャンルがありました。 1930年の秋に作られた「黄金バット」は大人気になりましたが、当...
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第四幕 昭和時代「活動弁士から紙芝居屋へ」

250万人とも言われた失業者の救済事業のひとつとなった街頭紙芝居ですが、一気に紙芝居屋が増えた背景には、映画の変遷も関わっていたのです。 1895年に誕生した映画は、音声、音響、俳優のセリフが入っていない「無声映画」(サイレント映画)でした...