紙芝居の歴史

紙芝居の歴史

第十六幕 デジタル時代の紙芝居

全てがスピードアップして忙しくなっている時代に、ローテクな紙芝居は、子どもたちの心が成長するためのゆったりとしたリズムに合う児童文化として再評価されています。 紙芝居は、アニメのような動画ではなく、静止している絵を使うことで、演者が語りを自...
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第十五幕 手作り紙芝居

1933年ごろから、保育園では保育士が園児に見せるために、紙芝居を手作りするようになりましたが、そんな「手作り紙芝居」が現在まで続いているのです。 そして、1980年には神奈川県立図書館が旗振り役になった「手作り紙芝居コンクール」、1986...
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第十四幕 「幼稚園での紙芝居」

1964年(昭和39年)に「幼稚園教育要領」で、絵本や紙芝居、スライド、テレビ放送などの視聴覚教材を使って「楽しんで見たり聞いたりしながら、幼児が想像力を豊かにする、豊かな情操を養うようにする」と示されました。 子どもたちの感動や感情の表現...
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第十三幕 新しい紙芝居運動の始り

1980年になると、小学校の教員だった「まついのりこ」は自分の子どもに手作り絵本を作ったことに端を発して、その後、絵本作家の道に進みました。演じ手と観客の言葉のやりとりや動作を通じて、共感を作り出す「観客参加型」の紙芝居を、たくさん作ったこ...
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第十二幕 テレビ放送と街頭紙芝居の衰退

1953年にNHKがテレビ放送を始めて、1955年には全国のテレビ普及台数が10万台に、そして5年後の1960年には500万台にまでなり、テレビ人気の高まりを受けて、街頭紙芝居は消えていったのです。 1955年に戦後の「教育紙芝居」の普及に...
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第十一幕 保育園での教育紙芝居

街頭紙芝居への当局の締め付けが厳しくなっていく半面、1948年に文部省は「保育要領‐幼児教育の手引き」で、紙芝居を初めて「保育教材」として制定しました。 街頭紙芝居は、駄菓子を売るための人集めの道具だったので、質が高いものではなかったのです...
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第十幕 「大阪府紙芝居条例の抜粋」

1950年に通達された「大阪府紙芝居条例」の抜粋 ●この条例は、紙芝居業者について、必要な取り締まりを行い、児童福祉上支障のないように、紙芝居が行われることを目的とする。 ●業者になろうとする者は、知事の行う講習及び身体検査を受け、免許試験...
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第九幕 戦後の街頭紙芝居の復活

1946年頃から戦争からの復員兵や失業者が参入して、街頭紙芝居は復活して、1948年から1949年にかけて最盛期を迎えます。 1953年に中国からの引揚者の宿舎で開催された「帰国歓迎紙芝居慰問」の紙芝居公演は、「売り子」を獲得することが目的...
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第八幕 「戦時中の国策紙芝居と保育紙芝居」

1938年に16社を買収する形で「大日本画劇株式会社」が設立されました。買収資金の大半を出したのが「明治製菓」で、自社の菓子販売を委託することが目的だったのです。 「国民精神総動員運動」が発せられた1937年の翌年、1938年には「日本教育...
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第七幕 昭和時代「教育紙芝居の始り」

1935年に東京帝大を卒業して小学校の教師となった「松永健哉」が「子ども自らによる文化創造」を掲げて、校外教育としての「教育紙芝居」の活用を提唱し、紙芝居のもつ効用を次のように説明しました。 「普及のしやすさ」演じるための高い技術を必要とし...