お伝えしたい3つのこと
(1)紙芝居は最初は人形劇だった
(2)街頭紙芝居は衰退して、教育紙芝居が残った
(3)教育紙芝居でビジネススキル&マインドを育てよう
紙芝居は、大衆芸能、大道芸の街頭紙芝居として始まり、ピーク時には全国で5万人もの街頭紙芝居屋がいたこともありましたが、今では紙芝居屋として活躍している人は数えるほどになっています。
紙芝居は、誕生した当初は人形劇だったのです。人形浄瑠璃のルーツでもある「傀儡(くぐつ)人形遣い」という大道芸がありましたが、細い棒に人の形に切り抜いた紙を張り付けたもの「立ち絵」で物語りを演じてみせていたので、それを「立ち絵」の「紙」の「芝居」なので「立ち絵紙芝居」と呼ぶようになったのです。
街角で演じられる大道芸の「立ち絵紙芝居」は、失業した人たちが糊口を凌ぐための「飴売り行商」の商売道具として広まっていったのですが、大道芸を卑しい芸能と見下すような世論もあって、街頭での行商を禁止されてしまいます。
そこで、法の裏をかく苦肉の策とも言えるような手段、「立ち絵という紙の人形でなければいいのでしょう」ということで、現在の紙芝居と同じスタイル「紙に描いた絵」を使うようにした「平絵紙芝居」が登場したのです。
「平絵紙芝居」は「飴売り行商人」である街頭紙芝居屋による大道芸という位置づけには変わりはありませんでしたが、「黄金バット」などの大ヒット作の登場で、一世を風靡することになったのです。
紙芝居がもつ教宣効果が着目されて、戦時中には戦意高揚のためのプロパガンダとして、印刷された「国策紙芝居」が日本中で演じられたこともありました。
戦後、復活を果たした街頭紙芝居は、やがてテレビ放送に主役の座を奪われて、衰退の一途を辿ることになるのですが、一方で紙芝居を児童の教材として活用しようと考えた人たちが「教育紙芝居」というジャンルを確立していったのです。
混沌とした社会情勢の泥の中から生まれた大道芸の「紙芝居」でしたが、「教育紙芝居」として、水上の蓮のような見事な花を咲かせました。
高橋五山「紙芝居 創造と教育性」
子どもだからと「上から」教えようとしてはいけない
おもしろがらせようと「下から」こびるようなことをしてはいけない
幼児であろうと大人であろうと「対等」に接しないと、ほんとうに観客の心とふれ合うことはできない
「ほるぷ紙芝居 黄金期名作選 解説」
作品を生かすも殺すも演者次第
演者のうまいまずいより人格が端的に出ることを注意すべき
だからこそ、しっかりした子ども像、文化論を持っていなくてはならない
大道芸の紙芝居屋は、ほとんど姿を消してしまいましたが、「教育紙芝居」は、保育の現場で幼児に向けて演じられたり、図書館で貸し出される教材として活用されるようになっています。
現在、わずかに活動している紙芝居屋は、イベントの人気のパフォーマー・芸能者と認識されるようになっていて、紙芝居は、昔なつかしのノスタルジックな作品として演じられたり、今どきの世相や流行りを反映した創作紙芝居が披露されるようになっています。
デジタル化でなにごともスピードアップしているこの時代、紙芝居のテンポは、成長する子どもたちの心のリズムに合ったものと言われています。また、生きる力となる「非認知能力」を養うものとしても評価されているのです。
「教育紙芝居」をもっと実践教育の現場で生かす、例えば、ビジネススキルとしてのプレゼンテーション力を養う、あるいはアントレプレナーシップ(起業精神)を育てるといった「楽しんで取り組める教材として活用する」チャレンジが、紙芝居の未来を切り開くことを期待しています。
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